そして幸せに暮らしましたとさ

この物語はフィクションです

2月と3月は飯のことばかり考えて暮らした

たまたま手に取った本のいい感じなタイトルに触発されて、2ヵ月ぶりにブログを書くことにした。読むのはこれから。

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

 

最近、コンスタントに家で料理をしている。上京10年目にして初の快挙。惣菜パンとカップ焼きそばで生きていた学生~ニート期、コンビニ弁当と外食で生きていた会社員期を経て、ようやく人間らしい生活に目覚めた格好だ。


実は子供の頃からずっと、自分のことを料理嫌いだと思っていた。盛り付けだけは手伝っていたが、その手前の調理となると急に腰が引けてしまう。おふくろの味を学ぶどころか、台所に何があるのかもよく知らないまま実家を出てしまった。

一人暮らしを始めたばかりの頃は自炊にも手を出してみたものの、当然ながら続かず、先に書いたようなエンゲル係数高めの生活を何年も続けてきた。

 

しかし失業保険で生きる身となった今、エンゲル係数の高さはQOL低下に直結する。今こそ自炊を日常にせねばならぬ。そこで、自炊に挫折したときの気持ちをよくよく整理してみると、「重い鍋やフライパンが手に余る」「大きいまな板を洗うのが面倒くさい」など、大半が道具にまつわることだった。

そうと分かれば話は早い。「タッパーと電子レンジだけで作れるものしか作らない」「キッチンバサミで切れないサイズの食材は使わない」と決めた。とたんに自炊が続きはじめた。身の丈に合ったレベルの料理が作れるようになったのだ。

 

スマホで「(食材) レシピ レンジだけ」と検索し、出てきたレシピを試しては食べる日々。繰り返すうち、また食べたいレシピに出会うことも増えてきた。
はじめのうちはそのままブックマークしていたが、調理中にスクロールして手順を確認するたび、どこかで見た「スマホ表面の細菌数はトイレの○倍」的な雑学が頭をよぎる。衛生上も精神衛生上もよろしくない。

 

いろいろ考えて、気に入ったレシピは小さなカードの片面に書き留め、名刺ファイルに入れていく方法に落ち着いた。
最初にファイルを開いておけば調理中は触らずに済むし、ノートやレシピ本と違って汚れの心配がない。並べ替えも感覚的にできる。

副次的な効果としては、レシピを見たとき「カード1枚に要約できるか=食材や手順の数が多すぎないか」に着目するようになるので、自分の手に負える料理か否かがおのずと分かる。道具のくだりでも「身の丈に合った料理」という表現を使ったけど、自分のレベルを見極めて対策をとるのが大事だなと思った。


生活が一変した話とは思えない、おそろしく凡庸な結論になってしまった。不満と不安を原動力に文章を書くタイプの人間なので、たまにこういう日があると焦りがわいてくる。こんなに当たり前のことしか言えないなんて、やはり自分は感受性も表現力も人並み以下なのではなかろうか。

一年の中で一番嫌いな季節は春だ、と前職の同期が花見中に言っていて、理由を訊くと「なんか、そわそわするから」という答えが返ってきた。その気持ちが今、なんとなく分かる気がする。