そして幸せに暮らしましたとさ

この物語はフィクションです

振り返る話2017

1歳でひらがなカタカナ英数字を覚え、3歳のときには絵本どころかルビのない一般書を読める、分かりやすい天才児だった。
これで親が期待しないはずはない。欲しがる本は買い与え、塾や習い事に通わせ、週末には図書館や美術館に連れていき……と教育投資を惜しまなかった。
その期待に、自分はまあまあよく応えた方だと思う。幼児教室を飛び級し、田舎の公立小学校では当然のように体育以外オール5。中学受験もつつがなく志望校に合格し、大して努力しないのに好成績をキープ。周囲からは事あるごとに天才と言われ、それを当然と受け入れて育った。

そんな自他ともに認める天才像が揺らいだのは、14歳の誕生日を過ぎた頃のことだ。「今からどんなことを達成しても、もう『天才』とは言われないな」と唐突に思った。
世の中の大体のことは、時間をかければ何とかなるようにできている。9歳で大学に入れば天才だけど、18歳で同じことをしても凡才だ。自分も1歳で文字が読めたから天才と称されたのであって、14歳の今それができても偉くもなんともない。天才と凡才の違いは結局、ある地点に到達するのが早いか遅いかの差でしかないのだった。

アインシュタインノイマンといった狭義の天才はともかく、自分のような広義の天才は「スタートダッシュがうまくいっただけ」だ。そして、初速を決めるのは本人ではない。
理科の時間にやったばかりのエネルギーの実験を思い出す。ビー玉を斜面の上に置くと、勢いよく転がりはじめる。最初の位置が高いほど、ビー玉は速く遠くまで進む。しかしビー玉自身には動力源が無いので、高さが0になればやがて止まる。
自分はあのビー玉なのだと思った。これまで人より速く進んでこれたのは、生まれたときに与えられた位置エネルギーが他より大きかっただけ。あとは失速しながら、他のビー玉と同じように止まるのを待つだけ。

そう考えると、何もかもが急に虚しくなった。子供らしい万能感と引き換えに、無力感と絶望感、そして厭世感を知った。

その後も世間的にはいい高校、いい大学に進んだけれど、虚しさは薄まらなかった。むしろ年々濃くなって両足にまとわりつき、失速をさらに早めた。


今はまだ慣性で、もとい惰性で動いているものの、進んでいるとは言いがたい。親に履かせてもらった下駄はとっくに擦り切れて、足の裏から血がにじんでいる。もう止まって楽になりたいなとぼんやり思うけれど、自分の意思で止まることはできない。よたよたと倒れない程度に次の一歩を踏み出しながら、いつかエネルギーが尽きるその瞬間を待っている。