そして幸せに暮らしましたとさ

この物語はフィクションです

2月と3月は飯のことばかり考えて暮らした

たまたま手に取った本のいい感じなタイトルに触発されて、2ヵ月ぶりにブログを書くことにした。読むのはこれから。

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

 

最近、コンスタントに家で料理をしている。上京10年目にして初の快挙。惣菜パンとカップ焼きそばで生きていた学生~ニート期、コンビニ弁当と外食で生きていた会社員期を経て、ようやく人間らしい生活に目覚めた格好だ。


実は子供の頃からずっと、自分のことを料理嫌いだと思っていた。盛り付けだけは手伝っていたが、その手前の調理となると急に腰が引けてしまう。おふくろの味を学ぶどころか、台所に何があるのかもよく知らないまま実家を出てしまった。

一人暮らしを始めたばかりの頃は自炊にも手を出してみたものの、当然ながら続かず、先に書いたようなエンゲル係数高めの生活を何年も続けてきた。

 

しかし失業保険で生きる身となった今、エンゲル係数の高さはQOL低下に直結する。今こそ自炊を日常にせねばならぬ。そこで、自炊に挫折したときの気持ちをよくよく整理してみると、「重い鍋やフライパンが手に余る」「大きいまな板を洗うのが面倒くさい」など、大半が道具にまつわることだった。

そうと分かれば話は早い。「タッパーと電子レンジだけで作れるものしか作らない」「キッチンバサミで切れないサイズの食材は使わない」と決めた。とたんに自炊が続きはじめた。身の丈に合ったレベルの料理が作れるようになったのだ。

 

スマホで「(食材) レシピ レンジだけ」と検索し、出てきたレシピを試しては食べる日々。繰り返すうち、また食べたいレシピに出会うことも増えてきた。
はじめのうちはそのままブックマークしていたが、調理中にスクロールして手順を確認するたび、どこかで見た「スマホ表面の細菌数はトイレの○倍」的な雑学が頭をよぎる。衛生上も精神衛生上もよろしくない。

 

いろいろ考えて、気に入ったレシピは小さなカードの片面に書き留め、名刺ファイルに入れていく方法に落ち着いた。
最初にファイルを開いておけば調理中は触らずに済むし、ノートやレシピ本と違って汚れの心配がない。並べ替えも感覚的にできる。

副次的な効果としては、レシピを見たとき「カード1枚に要約できるか=食材や手順の数が多すぎないか」に着目するようになるので、自分の手に負える料理か否かがおのずと分かる。道具のくだりでも「身の丈に合った料理」という表現を使ったけど、自分のレベルを見極めて対策をとるのが大事だなと思った。


生活が一変した話とは思えない、おそろしく凡庸な結論になってしまった。不満と不安を原動力に文章を書くタイプの人間なので、たまにこういう日があると焦りがわいてくる。こんなに当たり前のことしか言えないなんて、やはり自分は感受性も表現力も人並み以下なのではなかろうか。

一年の中で一番嫌いな季節は春だ、と前職の同期が花見中に言っていて、理由を訊くと「なんか、そわそわするから」という答えが返ってきた。その気持ちが今、なんとなく分かる気がする。

新しい青空を見た話

ライブ終了直後の時点では、もう私ごときが書くことは何もないなと思っていた。だって、twitterや前記事でも書いた

青を失って、青空や青い海を、そして青春を歌えるようになったももクロが、緑を失って歌えるようになるものは何なのか。ためいきを隠した草原? 生命たちが駈け巡るこの大地? 希望に涙を足した色?

という問いには、ヒャダインと4人が完璧な答え(♯15)を用意してくれてたし。青く澄みわたる空、緑あふれる大地、そこに咲く4色の花……って物語ができすぎてませんか?

 

だから「感想は後で書く」と言いつつ約一週間放置してたんだけど、無職だから金曜の昼ふと思い立ってセトリ完全再現ひとりカラオケに行ったんですよ。愛のメモリーまできっちり順番どおり入れるやつ。

それで歌詞に集中しながら改めて全曲歌ってみた結果、「あっこれは文字にしないと頭がパンクするやつだ」と思ったので、ライブの感想だか曲レビューだか分からないものを書きました。長いので小分けにして、お時間あるときにでも読んでください。

 

♯01 Z伝説〜終わりなき革命〜

その衣装でその曲は反則でしょ……としょっぱなから涙目になった。

ももクロ垢からこのブログをお読みの方には早速3段落ほど読み飛ばしてほしいんですが、この衣装とはMy Dear Fellowを歌った、そして今のところ最後の出場となってしまった2014年の紅白衣装です。事前にファンが真っ白な衣装にメンバーカラーのペンで寄せ書きをし、ももクロちゃん達がそれを着てステージに立つことで、ファンのみんなを紅白に連れて行くよ!という企画でした。いま思うとモノクロデッサンを地でいく企画だな。

でもこの年、有安杏果はインフルエンザでまさかの欠場。あの衣装どうするんだろうと心配しつつ出番を待っていたら、4人がちょっとずつ緑をまとって現れた。緑の衣装を一旦ばらして他のメンバーの衣装に縫いつけたらしい。意地でも寄せ書きは全員分ステージに連れてくぞ!という強引なまでの心意気。そして、曲が終わってカメラが司会者に切り替わる前の一瞬に、夏菜子が「次は5人で!」って叫んだ。こっちも「来年こそは5人揃って着てくれよ!」という気持ちになったのを覚えてる。

ところが翌2015年、ももクロは落選からの卒業宣言で紅白と決別してしまい、今に至ります。だから、あの緑の寄せ書き衣装を完全な形で見る機会はもう無いんだろうと思ってた。*1

そんな衣装でラストライブが始まるんだから、当時を知る者としては涙ぐむしかない。「次は5人で!」が「最後は5人で!」になるなんて思わなかったよ。で、またこの曲が涙目の人間に全力でぶつかってくる。

わたしたち泣いている人に何ができるだろう それは力いっぱい歌って踊ること!

そんなこと言われて泣きたくなかったんですが、私はすぐ後のしおりん「弱くない!」で普通に決壊しました。これが涙目のアリスの力……。

 

思い出話を混ぜたら文字数が大変なことになると分かったので、ちょっと控えます。

 

♯02 未来へススメ!

この曲から杏果が加入して6人になったんだっけ? 一人も欠けることなく同じ未来へ進んでいくんだ!と1ミリも疑ってないのが伝わる歌詞。今このタイミングで聴くと、幼さゆえの純粋さに打たれてしまう。

「どんなどんな困難でも」「いつかいつか辿り着ける」の腰を落とす振り付けで、ただでさえ小さいのに人一倍腰が入ってますます小さくなっちゃう有安さんが好きだったな、と思った。BLAST!のサビとかもそうだけど、体の軸をぶらさずに脚だけ開いたり上げたりする動きが抜群に上手いんだよね。もうあの弾むような動きが観られないのかと思うとただただ寂しい。

 

♯03 ゴリラパンチ

暗転のあと杏果がセンターに立ってて、「あっそういえばこれ卒業ライブだったわ」と再確認。古参泣かせな2曲に続けてこれが来たことに、お前ら今日は絶対笑顔で帰らせるからな!的な意志を感じた。曲の力か、やっとかげりのない声を聴けた気がしてほっとする。発表以降ずっと4人の笑顔には曇りがあったから。

このあたりで、後ろの写真が各曲リリース時のものだと気づいた。さっきまで全員あどけない写真が並んでたから、AMARANTHUS時点のお姉さん感が際立つ。そういえばこの時のソロ写真、夏菜子以外の4人の手がそれぞれトランプのマークになってるよね? しおりんハート、あーりんダイヤ、杏果スペード、れにちゃんスペード。初めて見たときから気になってたんだけど、そこへの言及を特に見つけられないまま2年経ってしまったので、とりあえずここに書いておきます。

 

♯04 仮想ディストピア

なんか、今回は夏菜子の姿がすごく印象に残った。夏菜子の歌うところをライブ映像で初めて観たとき「笑ってるのに、泣きながら歌ってるみたいな声だなあ」と思ったんだけど、それをより強く実感した。サビの夏菜子と他4人に分かれて歌うところ、ほんとに一人ぼっちで「きみ」を探してるみたいで、歌を聴いてるというより演劇を観ているような気持ちになった。

あともう一つの発見は、灰とダイヤモンドに世界観が通じてること。*2「砂漠の底から拾い上げたのは昔誰かが愛を誓ったリング」なんて「灰の中のダイヤモンド」そのものだよな。どうして今まで気づかなかったんだろう。

 

♯05 白い風

もうその全てを抱きしめてしまうのか……とライブの展開の早さに目眩がした。最後だからってもったいぶらないというか、杏果曲を終盤に固めたりしないセトリにますます好感が持てる。抑えた感じで歌われる「今なら答え出せそうだよ」に、卒業への覚悟が滲んでいたような気がした。

そして予想も期待も裏切らないクライマックスの絶唱、続く夏菜子の落ちサビで、人間の眉はこんなにも悲しげにハの字を描けるものかと思ったし、「キミとならば」で隣の杏果に向けた視線の強さに打たれた。ももかなこはガチ。

 

♯06 行く春来る春

白い風からなめらかに続く、冬→春の流れが美しい。

サビの「素直なこと真面目なこと すがしいこと正直なこと」がもう有安さんのことにしか聞こえない。QuickJapanが有安さん特集だったときの表紙、真っ正面から撮った顔と「正直すぎる瞳」というキャッチコピーに衝撃を受けたのを思い出した。飾ることを知らない(ように見える)雰囲気は彼女の魅力だと思う。

白い風と感想がかぶるけど、トロッコお手振り曲なのに、夏菜子が「君から知ったよ」を杏果しか見ないで歌うのは反則。

 

♯07 ツヨクツヨク

ドームツアー2016のたしかアマランサスの方で、杏果ドラムver.を聴いた。手元や足元にはほとんど目もやらずに、きっちりリズムを刻みながら横のマイクを向いて歌う姿がすごくかっこよくて、「ツヨクツヨク心に誓う いつか本物になることを」のあたりで「いやもう本物だよ」と思ったっけ。ツッコミながら感動する稀有な経験だった。

その時の印象が強くてすっかり杏果が主役の曲みたいな気になってたんだけど、今回はチームワークの方を強く感じた。まず、入りのれにちゃんイヤモニ不調をあーりんとカバーするところ。よく生歌礼賛の流れで動画貼られるオレンジノートとか、のど自慢のゲストで歌った泣いてもいいんだよとか、こういう突発トラブルに対するあーりんやすの対応力はすごいなと思う。子役上がりの底力なのかな?

そして、なぜか曲終わりに杏果がタオル持ってなくて、しおりんと1枚のタオルを仲良く正しい向きで広げたところ。曲のハモリや振り付けでも推され隊とりんりんコンビでそれぞれ対になってることが増えてたから、今更だけど新鮮な良さを感じた。

 

♯08 words of the mind〜brandnew journey〜

手袋がめちゃくちゃキラキラしてたのと、それを投げた後の杏果の表情が忘れられない。投げるモーションが終わって体はすぐステージに向き戻ってるんだけど、顔というか視線はずっと手袋の行方を追ってて、やがて見届けたよって言うようにあごをくっと上げて走り出すの。あれは円盤化されたらもう一度見たいな。

 

♯09 BLAST!

夏菜子じゃないけど、2020年の東京オリンピックは5人でこの曲をやってくれるものだと信じてた。ロンドンの年のPUSHと一緒で五輪のイメージが重なってるから、別に色にちなんだ歌詞とかないのに、これから緑なしの4人でパフォーマンスするところが想像できない。

Abema在宅参戦だったのでライブ開始前にMVも観たんだけど、「ごちゃごちゃ今は全て捨ててこう 積み上げてきたもの振り絞ろう」は今回のライブに対する意志表明だと受け取りました。たとえ今後もテレビで披露する機会がなかったとしても、自分たちのために歌い続けてほしい。

 

♯10 DECORATION

AbemaTV公式twitterの「最後にももクロ5人で歌ってほしい曲」をつぶやく企画でも迷わずこの曲に投票したものの、まさか本当に聴けるとは思ってなくて、この曲が始まったときは本当に興奮した。だってつぶやいた後、同じこと考えてる人どれくらいいるのかな〜って検索したら、3人くらいしかいなかったもん。いや、分かるよ。怪盗少女やZ伝説やモノクロデッサンにあるような「この5人じゃなきゃ」って感じは正直薄いし、ピンキージョーンズやDNA狂詩曲やLinkLinkみたいな応援歌でもないし。

でも私はあの日これを聴きたかった。歌詞が今の5人にあまりにもぴったりだったから。特に2番冒頭のシンクロ率すごくないですか? 感想の代わりに引用しときます。

(杏果)でっかい宣言のプレッシャー深呼吸で挽回モード

(しおりん)結構わたし上手いことカバーできるとか思ってる

(れに)一刀両断ズバッと歯に衣着せず豪快に

(あーりん)でもちょっと笑顔で「ね?」ってフォローできればOKです

夏菜子)おりこうさんびゃく六十五日 弱気な自分見せられない

(杏果)好きでもないなら誰の夢なの そつない自分になりたい時流に流されてんじゃない?

 

♯11 行くぜっ!怪盗少女

原点回避・断固拒否!って言い切った直後にこれ持ってくるのが粋ですよね。圧倒的な披露回数に裏打ちされた安定のパフォーマンスで、正直その場で新しく感じることは特になかったんだけど、数日後に聞いた音源でちょっと感想が変わった。

「普通の女の子」なんだよなあ。  

 

♯12 灰とダイヤモンド

杏果の「一緒にいない私たちなんて二度と(想像もできないよ)」〜「砂にまかれても」を聴かせるための選曲だろうけど、夏菜子の「熱いアザをのこして 次の空めざした」にもぐっと来てしまった。アザと聞いて思い出すのはミライボウルの2番Aメロ。

ピンクのハート 真っ赤にもうすりむいてもいいのよ

青春のアザ 紫に残ってても

黄色い声でね告白を ユメミドリーム色々女子はね大変だ

「青春のアザ」を歌った青ことあかりんはこのシングルをもって卒業し、女優という次の夢、もとい次の空へと進んでいった。見送った側には悲しみがアザのように残り、時間とともに少しずつ薄れていった。もう見た目にはアザがあったことも分からなくなったところで、新たな衝撃にまたアザができた。たぶん、まだ熱いぐらいに痛いんだと思う。*3

 

♯13 走れ!

これも怪盗少女と同じ理由で、特にないと言えばないんだけど、これだけ書かせて。

一瞬暗転してトロッコの上の姿が見えなくなったとき、他のサイリウムが観客と握手するように小さく揺れながら光る中、ピンクのサイリウムだけが左右にぶんっぶん大きく振られてて、「それでこそ私の推し……」と思いました。

 

♯14 モノクロデッサン

白状すると、この曲を歌としてちゃんと聴いたことがなかった。「情熱=赤、希望=黄、涙=青」「情熱+涙(不安や孤独)=紫、希望+涙(疲れ)=緑」「恋=ピンク」っていう対応が見事すぎるから、上手いこと言うなあ〜みたいな感心が先に立っちゃって、あんまり全体を聴けてなかったんだと思う。ライブだと歌詞や近くに来てくれてるメンバーに合わせてサイリウムの色変えるので忙しいし。

でも今あらためて聴いてみたら、杏果の「疲れたら一休みしてまた歩き出せばいい」が自分に言い聞かせてるようでしみじみするし、かと思えばユニゾン「どの色が欠けてもこの夢の続きは描けないから」に(そうだそうだ!休むなんて言わないでよ!)とまた感情が高ぶるしで、とてもとても響く曲だった。

 

♯15 新しい青空へ(ありがとうのプレゼント)

こういうパーソナルな曲を作らせたらヒャダインの右に出る人はいないなと思う。私は杏果がいろいろ名曲をカバーした中でユーミンひこうき雲が一番だと思ってて、このライブの前にも聴き返してたから、「空が好きだったあなたへ」というフレーズだけでちょっと思い出し泣きした。

歌う人が変わるたびに体ごとそっちを向いて、途中で客席とありプレを合唱するところではイヤモニを外して聴き入る杏果の姿が本当に尊かった。

その凛とした姿勢は4人からのコメントのときも同じ。れにちゃんが「これからも友達でいてください」と言った瞬間、ハグに入る寸前に、きりっとした顔のまま左手でピースサインを出した杏果がこのライブの個人的ハイライトでした。

あとは、年少勢が「辞めてよかったと思えるくらい幸せになってね、辞めなきゃよかったと思わせるくらい頑張るから(あーりん)」とか「エゴサしなくても話題が入ってきちゃうくらい活躍するね(しおりん)」とか、良くも悪くもメディアに切り取られて見出しにされるのを超意識してコメントする中、夏菜子がめちゃくちゃ歯切れ悪く口内炎の話から入ったのが笑って泣けた。

 

♯16 あの空へ向かって 

杏果がステージを去って、左端のパネルにライブタイトルが下りてくる演出で鳥肌。室内のライブだと特に、動画やライトを駆使した派手な映像演出に慣れてたから、過去写真のみのほぼ静止画であそこまで意味を持たせられるとは思わなかった。

初めて他の誰かが杏果パートを担当するということで、画面越しでも伝わるライブ会場の張り詰めた空気。だけど曲が始まるとすぐに、じわじわ大きくなるあーりんコールに氷が解けるような感覚を覚えた。新曲が出るたびコール案とか真面目に論議する人たちを、どっちかというと「いや歌を聴きなさいよ歌を」って冷めた目で見てしまう心の狭いオタクなんだけど、たぶん初めて「コールって大事だな」って感じた。

アイドルは好きだけどドルオタは別に好きじゃないから、なんなら現場よりLVやDVDで観る方がパフォーマンスに集中できていいな〜って最近思ってました。でも、大げさだけど、ライブは演者と観客の双方向的コミュニケーションの場なんだということを確認できた気がします。やっぱり「行けるときに行っとけ」は真理だし、そのためのお金は惜しみたくないから、無職もそこそこにしておかないといけませんね。

 

振り返ると、こんなにも心揺さぶられながら2時間半のライブを堪能したのに、ラスト5秒で感想を「GTにならなくてよかった〜〜〜〜!」に塗り替えられてしまったのが悔しいです。とりあえずベストアルバムと東京ドームすごい楽しみ。

*1:メンバーのブログとか読むと、「ももクロは」を主語にするのも違うかなと思うけど……。いつかまた紅白出場が決まって、4人が「卒業したので再入学しまーす!」とか言ってランドセル姿で会見やってくれると信じてる

*2:只野さん自身がどこかでお話されてそうなので、掲載誌などご存知の方は教えてください

*3:「アザ」の他にも、曲をまたいで頻出するワードがももクロには多い気がする。「空」は言うまでもなく、「荒野」「本能」「リボン」とか。形態素解析じゃないけど、このへんデータ分析して視覚化したらおもしろそう

推しグループの波乱に動揺を隠せない話

5記事めにしてブログの方向性がぶれますが、私はアイドルオタクです。同好の士に伝わりやすい言い方をすると、怪盗新規のあーりん推しです。

突然こんな話を始める理由はひとつだけ。有安杏果電撃卒業発表です。

 

このツイートをしてからというもの、脳内が8年分の記憶や感情でロマンティックこんがらかってしまったので、ガス抜きをするような気持ちで私が見てきたももクロの話を連投しました。正直140字ずつしか書けない場所でする話じゃなかった。*1

 

当記事はそこからテキストを抜き出して、書き足りなかった部分を加えたものです。*2

 

***

 

6人時代の青ことあかりん、青と言っても実際はライトな水色で、れにちゃんの紫のほうがむしろ青み強かった。ジャケ写はいつも横一列で、個性ばらばらだけどグループとしてまとまってる雰囲気。
でもあかりん脱退後、青色を避けるかのごとく紫がどんどん薄く赤寄りに。Z伝説の衣装なんかほぼピンクだし、メンバー間の写真サイズ格差も顕著になるし、見た目のバランスだけは正直あんまり好きじゃなかった。

 

そんなうっすらとした不満を吹き飛ばしてくれたのが、翌年のPUSHだった。ジャケ写の背景はあかりんを思い出させる水色の空。そして落ちサビ直前Cメロの歌詞、

勝負とは 広い空 青い海
この大地 駈け巡る 生命たちの輝き

この「青い海」にはっとした。

 

歌詞に色名が入る曲は、当時ももいろパンチミライボウルくらいしか無かった。でもはっとした理由はそれだけじゃない。

青がいなくなったからこそ、彼女たちはグループ名や各々の担当カラーから離れて、純粋な青色を歌えるようになったんだ。

そう思い至ると、何度も何度も聴き直さずにはいられなかった。視覚優位型オタクである私にとって、そんな音楽体験は初めてのことだった。
(この部分ユニゾンだけど、MVでれにちゃんが抜かれるのにも意味を感じた)

 

その後ドリアン期を経て、れにちゃんの紫はまた少しずつ青寄りになっていったように思う。やっぱり両サイドの寒色具合が揃うと画が締まって、赤一強の写真サイズ格差も是正され、見た目だけで言うわけじゃないけど完璧なバランスに落ち着きつつあった。

いつだったか見た「りんりんコンビの画像くれ」的なスレで、二人のシンメの魅力を称えた「りんりんコンビはももクロの両翼」というレスに膝を打ったことがあったんだけど、推され隊も両翼だったなと今になって痛感する。

(連想が飛躍しすぎて脱線気味だからまたカッコ書きにするけど、ギリシャ神話のイカロスみたいだなって思う。真ん中に自家発電するソーラーエンジンみたいな夏菜子がいて、2組4枚の翼があって。アホだけど鋼の意志を持つ機長のもと、太陽を目指してただ一筋に飛んできた。でもある翼にとっては、近づいてくる太陽が熱すぎたのかもしれない)

 

そのシンメトリックな調和が保たれる最後の日、5人でのラストライブの名前が「新しい青空へ」であることに、勝手に物語を見いだしてしまう。青を失って、青空や青い海を、そして青春を歌えるようになったももクロが、緑を失って歌えるようになるものは何なのか。

ためいきを隠した草原? 生命たちが駈け巡るこの大地? 希望に涙を足した色?

 

きっとどれでもないのだろう。4人の明日は1月22日から始まっていくのだから。

それなら私は、彼女たちが進む道を今までどおり見つめていきたいと願う。新しく歌えるようになったもの、この次会える時みせてね。

*1:「私が見てきた」ももクロ、とわざわざ書くのは、私が彼女たちの作品しか見ていないからです。情報源はMV、衣装やCDジャケットなどのいわゆるアートワーク、ライブ、音楽番組への出演、たまにブログ。バラエティ番組での活躍や舞台裏での努力友情その他に関しては、モノノフを名乗るのもおこがましいレベルで知識がありません。なので、そういう方面からももクロを見ている方のところにもこの話が届いて、リプライやコメントなど頂けたら嬉しいです

*2:さんざん色について語っておきながら画像がないのは、「ブログは文章で勝負したい」という個人的なこだわりによるものです。元ツイートには画像貼らせていただいてるので、よろしければそちらもご覧ください(承認欲求を隠さないスタイル)

振り返る話2017

1歳でひらがなカタカナ英数字を覚え、3歳のときには絵本どころかルビのない一般書を読める、分かりやすい天才児だった。
これで親が期待しないはずはない。欲しがる本は買い与え、塾や習い事に通わせ、週末には図書館や美術館に連れていき……と教育投資を惜しまなかった。
その期待に、自分はまあまあよく応えた方だと思う。幼児教室を飛び級し、田舎の公立小学校では当然のように体育以外オール5。中学受験もつつがなく志望校に合格し、大して努力しないのに好成績をキープ。周囲からは事あるごとに天才と言われ、それを当然と受け入れて育った。

そんな自他ともに認める天才像が揺らいだのは、14歳の誕生日を過ぎた頃のことだ。「今からどんなことを達成しても、もう『天才』とは言われないな」と唐突に思った。
世の中の大体のことは、時間をかければ何とかなるようにできている。9歳で大学に入れば天才だけど、18歳で同じことをしても凡才だ。自分も1歳で文字が読めたから天才と称されたのであって、14歳の今それができても偉くもなんともない。天才と凡才の違いは結局、ある地点に到達するのが早いか遅いかの差でしかないのだった。

アインシュタインノイマンといった狭義の天才はともかく、自分のような広義の天才は「スタートダッシュがうまくいっただけ」だ。そして、初速を決めるのは本人ではない。
理科の時間にやったばかりのエネルギーの実験を思い出す。ビー玉を斜面の上に置くと、勢いよく転がりはじめる。最初の位置が高いほど、ビー玉は速く遠くまで進む。しかしビー玉自身には動力源が無いので、高さが0になればやがて止まる。
自分はあのビー玉なのだと思った。これまで人より速く進んでこれたのは、生まれたときに与えられた位置エネルギーが他より大きかっただけ。あとは失速しながら、他のビー玉と同じように止まるのを待つだけ。

そう考えると、何もかもが急に虚しくなった。子供らしい万能感と引き換えに、無力感と絶望感、そして厭世感を知った。

その後も世間的にはいい高校、いい大学に進んだけれど、虚しさは薄まらなかった。むしろ年々濃くなって両足にまとわりつき、失速をさらに早めた。


今はまだ慣性で、もとい惰性で動いているものの、進んでいるとは言いがたい。親に履かせてもらった下駄はとっくに擦り切れて、足の裏から血がにじんでいる。もう止まって楽になりたいなとぼんやり思うけれど、自分の意思で止まることはできない。よたよたと倒れない程度に次の一歩を踏み出しながら、いつかエネルギーが尽きるその瞬間を待っている。

生産的な人間になりたい話

会社を辞めてから日がな一日ふとんの中でスマホをいじって過ごし、閉めきった部屋から出ないので、とうとう酸欠で頭痛を起こした。
はじめ頭痛の原因がわからず病院に行こうとしたものの、今までの社保は退職に伴って切れている。退職日が12月半ばなので離職票その他が届くのは年明けと聞いているが、国保への切り替えは14日以内、社保の継続は20日以内に手続きが必要らしく、どう数えても間に合わない。役所に相談しようにも既に年末休みに入っている。

痛む頭を抱えたあたりで、幸い同居人が酸欠の可能性を教えてくれ、窓を開けて事なきを得た。
しかし同居人もこの不健康な生活を見かねたようで、「さすがに受動的すぎるのでは」「何か生産的な活動をした方がいいのでは」などと言う。

困ってしまった。生産したいことが何もない。

生産というか、表現の技術はある方だ。こうしてまとまった文章を書くのも苦ではないし、人前で話すのも抵抗がない。絵も描ける、楽器もできる、歌や踊りもそこそこにできる。
しかし今、その技術を使って生み出したいものがない。このブログだって、自分のために自分のことを、それも過去から現在のことを書き起こしているだけだ。それ以外のこと、たとえば小説とかバズる記事とかを一から書けと言われても無理なのだ。

自分は出し殻みたいなもんだなと思う。叩いても絞っても何も出ない、つまらない人間になってしまった。

ここまで書いて閃いた。
比喩的な意味で生産的になれないなら、文字通りの意味で生産的になればいいのだ。空っぽの頭が夢を詰め込むためにあるなら、空っぽの体は命を詰め込むためにあったのだ。やがて産む機械になるとしても、出し殻よりはましな人生だろう。

ここまで書いて壁にぶつかった。
新しい命を詰め込んでもらうためには自分自身が魅力的でなければならず、魅力的であるためにはこの受動的で非生産的な生活を改めなければならない。ああ、真に生産的であるためには生産的にならねばならぬ、このトートロジーよ。


眠れなくてこの文章を書き始めたのだが、着地点が見えないうちに夜明けが近づいてきた。とりあえず、朝になったら窓を開けてみようと思う。

同窓会の幹事をやってみた話

退職日も決まり、正式に無職になることが確定した。といっても、実はくだんの社員旅行直後から体調不良を理由に休みを決め込んでいたので、実質すでに無職4ヶ月目である。

この4ヶ月を振り返ってみると、脱出ゲームとソリティアばかりやっていた。特にソリティアはめちゃくちゃ上達した。すごい頻度でカードが乱舞する。あーソリティアが中途入社試験ですって会社ないかな。あったとしても入りたくないなそんな会社。

 

で、通い始めた心療内科の先生にあまり引きこもらず友人にでも会うことを勧められたので、同窓会を開くことにした。

自慢じゃないが同窓会に呼ばれないタイプである。別にいじめられてたとかじゃないし現在まで付き合えてる友人もそれなりにいるんだけど、類は友を呼ぶというかなんというかどいつもこいつもクラスの中心にいなかった人間ばかりなので、いつしかその手の連絡が回ってこなくなった。忘れた頃にFBにアップされる「○年○組最高〜」的なコメントつきの集合写真。記憶よりも丸くなった男子が中後列を固め、前の方にはすっかり綺麗になった女子が勢揃い。あの頃いつも腰パンだったチャラめの男子が最前列に寝そべっている。見飽きた構図の写真にいいね!を押しつつ、「呼ばれてねえな……」と「呼ばれても困るな……」というアンビバレントな思いをそっと噛みしめる。

 

そんなルサンチマンの苦味を知る人間だけで集まろう、というのが今回企画した同窓会のコンセプトだ。「このコンセプトに共感してくれそうな仲間を誘ってください」というチェーンメールまがいの告知をしたところ、数日で10人以上の連絡先が集まった。おそらく全員社交的ではないことを考えると、わりと驚異的なペースだと思う。

たぶん普通の居酒屋とかに行ったらいつもの相手としか話さずに終わるタイプの人間が多いので、民家っぽいレンタルルームで、鍋の具材とゲームでも持ち寄って、出入り自由の宅飲みみたいな感じにしようと考えている。どうなるか楽しみ。

 

辞めた前職は企画系なんだけど、やっぱりこういうエッジ効かせたコンセプトが他人に刺さって盛り上がってる状況ってすごくわくわくする。会社は嫌になってしまったけど、仕事は嫌いじゃないのかもしれない。